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              私が大学生の頃、芥川龍之介の友人の河上遼太郎という評論家の随筆を読んでいたら、 
「芥川は毎晩三百頁から四百頁くらいの本を読んでいる」 
と書いてあった。これは冊数で言えば、一冊半から二冊の量になる。 
 大学時代の私は一日一冊の読書を実践することに専念していたので、それを日々欠かさず継続することの難しさをよく知っていた。「さすがに芥川は読書が速いんだな。やはり天才と言われただけのことはある」と素直に感心したものだ。 
 しかし、そのときの私が単に感心するだけでなく、「芥川は一体どんな方式の読書をしているんだろう?」と、読書の方式そのものに対して「知的なとらえ直し」をしたならば、その時点から「全く違った人生が開けたのかもしれない」と、今にして残念に思う。 
 当時の私は、今の私が提唱するような速読は不可能であると考えていた。それは過去の読書体験による検討を通じて、「通常の読書を加速してもたかがしれている」ことを知り尽くしていたからである。その認識は今から考えても間違っていない。 
 すなわち、「従来の読書を加速して速読に至ることはできない」のである。 
  実際には、私が栗田式速読法を完成して、日本で最初に速読一級の検定試験に合格し、テレビで「三十分に三十冊」の速読の実演をするようになったのは、それから十五年以上経ってからである。その直接の契機は、交通事故に遭遇して、ものごとを従来とは全く違う角度から「根本的にとらえ直す」機会を得たことにある。読書に関して、「システムとしてのとらえ直し」を行い、合理的でしかも全く新しい速読の体系を樹立できたのだ。 
 皆さんも、大学生の頃の私と同じように速読をとらえておられるのではないかと思う。 
 もし皆さんが「通常の読書を加速することは難しい」と思っているならば、それは全く正しい。そして、もし皆さんが「通常の読書を加速すれば簡単に速読ができる」と思っているならば、それは大いなる間違いなのである。 
 通常の読書は加速に耐えられない作業なのだ。「それでは速読はできないということではないか」と思われるかもしれない。そういうワンパターンの発想が固定観念なのである。 
 速読を可能にする道筋は、実は全く別なところにあったのである。 
 速読とは、従来の読書とは全く異なるシステムを用いて、別な作業をすることだったのだ。 
 しかも、きちんとそのシステムを動かすための手順を素直に学べば速やかに学べる。 
 そのことをよく理解してもらいたいと思う。 
 
             
            
            
              
                
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