速読は超能力ではなく常能力

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SRS速読法とは」
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 SRS速読の成果に接する人たちは時に「超能力」を連想することがあるようだ。そのために、速読の訓練そのものについても「何かあやしげなことをするのではないか」と偏見を持つ人が時にいる。
 しかし、それは無知なだけでなく、明らかな間違いである。というのは、「超能力」には、その言葉の定義からして「少数の人しか発揮できない能力」というニュアンスがあるのに対して、速読は「ほとんど誰でもできること」だからである。
 そこで私は議論を明確にするために、「努力をしても5%以下の人しか獲得できない能力」を「超能力」と呼び、「適切な努力をすれば95%以上の人が獲得できる能力」を「常能力」と定義している。常能力にはあやしげな側面はない。
 常能力のわかりやすい例は、「歩くこと」と「自転車に乗ること」である。
 「歩くこと」は、1歳前後まではできないのが通常であるが、2歳を越えれば95%の人ができるようになる。その意味で「歩くこと」は常能力なのである。
 「自転車に乗ること」も、最初は誰もできないものだが、実際の成人に質問をしてみると、95%の人ができることが分かる。二輪車の上でバランスを取りながら、左右に倒れないで進むことは、できないうちは一見むずかしそうに見えるものだが、できるようになってみれば何ということもない。
 では速読力はどうであろうか。それは数字が証明している。 本章の冒頭のグラフは、2日間の訓練で97%の人の速読力が5倍以上になることを示しているから、まさに「速読力は常能力である」ことをデータで証明しているのだ。
常能力の獲得と超能力の獲得とを混同しないためには、「一見無理に見えることができるようになる」理由が「パラダイムの変換」が起きたためであることを知ってもらいたい。