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[解説]
屋久島では大王杉が一番大きな杉であると長い間言われていた。
ところが1984年になって、それよりももっと奥にこの杉が見つかった。
当時は、その太さから、樹齢は7200年であろうと推定された。
縄文杉と名付けられ、一躍脚光を浴びたのは、この杉の運命だったろうか。
胴回りは16.4メートル、高さは25メートル。
それから、この縄文杉を目指す登山が始まった。
鬱蒼とした林道と変化に富んだ原生林を貫く山道を歩きに歩いて、
小さな発見と驚きの連続と大きな疲労の連続の最後に、
求めたものに突然に出会って感動する喜び。
写真はそんな高揚感を味わった2003年の5月1日に撮影したものだ。
着生していた樹木が落剥したために、何年か前の姿と現在の姿とは違う。
訪れる人が次第に増加する中で、樹木の根元の条件も悪化しているという。
だから、現在のこの姿も、永遠ではありえないのだ。
縄文杉がもっとすっきりと素直に天空に伸びた樹木であったならば、
周囲の森の他の屋久杉と同様に、江戸時代に切り倒されていたことであろう。
この一見、無骨で飾らない姿の中に、実は生きのびて来た秘密が隠されている。
深い洞察力を働かせながら心静かに観賞すると、背後の時の流れと、
それを貫いたバイタル・フォースとの関わりのビジョンが、
ありありと見えてくる体験が生まれるかもしれない。
パラレル法で立体視ができるのでやってみよう。
[撮影・解説:栗田昌裕]
画像の無断複製・無断使用を禁じます。
<付記>
2005年12月の新聞に、「縄文杉、雪で枝折れる」との記事が載った。
それによると、上記の写真の中央に立つ幹から右上に出ている枝が折れた。
この枝は地上15m付近の枝で、直径60cm、長さ4mの部分だ。
地方のガイドから12月21日に通報があり、林野庁の職員が24日に確認した。
ここは数百年前に一度折れた箇所から再び成長した部分と見られ、
腐って折れやすくなっていたという。12月10日は折れていなかった。
上記の写真でもう少し詳しく言うと、中央の上四分の一から右上に出て、
そこからさらに上方に逆くの字を描いて立ち上がる部分がなくなってしまった。
したがって、上記の写真のような縄文杉は永遠に眺めることができなくなった。
冬季は腐朽菌が活性化しにくいので、さしあたって樹勢には影響はないとのことだ。
新聞には、縄文杉の裾が雪に埋もれた写真が掲載されていた。
05年12月21日、縄文杉(標高1300m)周囲の積雪は50cmという。
屋久島には九州最高峰の宮之浦岳(1936m)があり、冬季には必ず雪が降る。
屋久杉は風の影響を受けてさまざまなねじれが生じていることで有名だ。
文字通り風雪に耐えて何千年も生き続けることは大変なことだと改めて思った。
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