「作家・鈴木光司氏との対談《第2回》」

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自分を活かす読書のススメ
雑誌「ダ・ヴィンチ」の記事として企画された対談の続きを紹介しよう。
読書はワンパターンの自分から抜け出すチャンスだ 

鈴木 ●大学で小説を勉強していた頃、書くということはすべて意識的な作業だと思い込んでいたんです。ところが作家になってみてわかったのは、幼いころの体験や記憶のイメージが大いに作用して、身体の奥からアイデアを押し上げてきて、僕に書かせているんだなということ。読んだり書いたりするのに、頭で意識するだけではなく、いろんな情報の力を働かせる感覚をつかんだんですよ。
 栗田 ■私も、鈴木さんのような読書を誰もが簡単に楽しめるように、速読を提唱しています。読むスピードと、読む行為を通じて人生を有意義に過ごすこととは、実は大いに関係がある。速く読めば、イメージの力がぐんと強くなるんです。
 鈴木 ●おおっ。それはわかるな。
 栗田 ■速読だと、音読や黙読で読む量やスピードはもちろん、理解の質や記憶の正確さは、比較にならないほど高くなるんですよ。どうしてそうなるかというと、理解や記憶、イメージを含む人間の身体の中の情報と、これから読もうとする情報とは、お互いに引き合ってダイナミックに意味をつくりだしていくものだからです。ですから、速く大量に読むほど、その状況はどんどん豊かになる。するとすぐに身体が反応するようになって、ワンパターンの思考に収まりきれないみずみずしく新しいアイデアや感覚が、全身から引き出されてくるわけです。
 鈴木 ●子供の頃に、全身でわくわくしながら読んでいた感覚のような?
 栗田 ■読書とは本来そういうものですよね。しかし、ほとんどの人は、年を重ねるにつれ、教育や環境の影響で、読書に身体の全感覚を総動員しなくなっていくんですよ。いつのまにか、できあがった思考回路の手持ちの感覚で、少ない情報をあっさり片づけていくような読書になってしまっているんですよね。味わいは浅く、印象も残らない。
 鈴木 ●なるほどなあ。
   
情報の出会いが生み出す力を見逃すな
 栗田 ■鈴木さんに教えていただきたかったんですが、「リング」「ループ」「らせん」で随所に出てくるシンクロナイゼーションを、いつごろ自覚されて、小説の作法の中に投影されるようになられたんでしょうか。それも鈴木さんの作家性の大きな魅力の一つですよね。その原点をお伺いしたかったんですが。
鈴木 ●そうだなあ…(しばし思い返して)一番最初に真剣に自分の関知しない情報の動きやその流れ、大いなる力のようなものに動かされてペンが進むようになったのは大学の頃でしたね。それで、人間の意識の力を知りたくなって、哲学科のゼミに入ったり。
 栗田 ■なるほど。
 鈴木 ●その頃自分で出した結論は、意識の力なんてあり得ないんじゃないかというものでしたね。自分は意志的に動いているつもりでも、必ず何かに動かされているんだと。
でも、じゃあ自分が受動的な存在だとしても、もし能動を働かせるようなチャンスがあったら、ぜったいそこに食い込んでいってそれをもぎ取ってやればいいじゃないかと思ったわけです。そこから、偶然と偶然がパッと重なって自分のアンテナに響くチャンスを見逃さず、そのシンクロニシティをより良い方向へ持っていってやるぞと心に決めていますね。そのことを描いているのが「ループ」なんです。
 栗田 ■まさしく、それが情報を味方につけて、行動に結びつけるということ。
 鈴木 ●「シーズザデイ」の中で、岡崎という登場人物が小学校の校門で光のシャワーを浴び、喝采を聞くシーン、あれは自分の体験なんですよ。
「天才たちのDNA」の中でも書きましたね。これも僕の能動の働き(笑)。
 栗田 ■うんうん。
 鈴木 ●自分の目で見たこと、感じたことを必要なときに再現させてやろうという気持ちを常に働かせて、それを実際にやってのけると、どんどん好奇心や探求心が出てくるんですよね。ちょっとやそっとでは満足しなくなって、幾つになっても枯れることがない。
僕はそうやってもっともっとたくさんの本を読みたいし、たくさんのことに首を突っ込んでいきたい。
 栗田 ■前向きなキャラクターもつくられる。
 鈴木 ●ははは、そうですね。
   
ダイレクトに心に響かせる読み方とは
 栗田 ■私もたくさんの方を教えてきたんですが、受動的で、自分の殻に引っ込んでしまうという方が鈴木さんのように開眼していらっしゃるんですよね。より良く読むには、そこをまず変えること。読めば読んだだけ世界は広がるんだと意識して本を読むことなんです。速読で教えたいのもそこ。速く読むからわからないんじゃないかと思うのはもったいないなと思いますね。わかるために速く読むわけですから。
 鈴木 ●体験する読書。
 栗田 ■そうですね。イメージしながら読むのとも違いますね。
 鈴木 ●ほう。
 栗田 ■ただ、読んだ言葉の群れをそのまままるごと頭のなかに投入する、それだけのことなんですけれども。そこで自分の枠を通して一語一語を確認しながら読んでいると(音読や黙読)、自己流で英語を日本語に訳しながら読むのと同じで、数行読むのに時間がかかるし、著者の意図からも離れがちなんですね。ですから目の力を最大限に利用して、なるべく情報を分断したりゆがめたりせずにそのまま入れたほうが、書いた人の心と読んだ人の心とがシンクロナイズする場面が増えるものなんです。
 鈴木 ●確かにそうだなあ。
 栗田 ■本のページに連なっているのはインクの染みであり、作家が伝えたいことを伝えるための道具としての言葉なのであって、1冊のメッセージをキャッチしたいなら一語一語にひっかかり過ぎてもいけないはずですよね。
鈴木 ●そうだなあ、それには読み手も活性化していないとだめですね。どうせなら読むのも能動的に。
 栗田 ■読書の感動は作者の世界と自分の世界との接点から生まれるもの。作者のパワーに負けない読み手でありたいですね。
 鈴木 ●そうなるにはどうすればいいんですか。 〈次回に続く〉
 
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